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今だから話せる「知財業界での大ピンチ」 〜20代弁理士時代の大ピンチ〜

2022.07.01 弁護士:小林 幸夫 商標法

 1978年(昭和53年)に弁理士試験に合格し、翌年から特許事務所にて弁理士業務を行っていました。その後、司法試験を目指して平成4年(1992年)に合格し、弁護士となりましたが、実に多くのピンチを弁理士時代や、新人弁護士のときに経験しました。数えたら相当な数になると思います。

 今回は、弁理士内田浩輔先生の「弁理士の日記念ブログ企画2022」を盛り上げるため、20代のときの弁理士時代の大ピンチを2つだけ?ご紹介します。

1 雑誌の題号の決定に関わり、あやうく出版停止の大ピンチ

 当時、出版社から雑誌の題号について相談を受け、毎週いくつもの候補となる題号の商標調査をしていました。当時は、パソコンもなく、特許庁HPもなく、商標調査はもっぱら特許庁や弁理士会に備え付けた公報の束を、手でめくって調べるという手法が中心でした。
 そのような伝統的な手法に従って、調べていたところ、最有力候補といわれた題号については「問題ない、類似する登録例はない」という結論に達し、英語とカタカナ文字の二通りの題号を採用することとなったのです。
しかし、出版直前になって、「英語の表示を一文字だけ変更する、カタカナ文字は従前どおりでよいか即刻回答してほしい」という質問を電話で受けたのです。とっさに、「大丈夫です」という回答をしたのですが、これが大ピンチの始まりでした。
 第1号のゲラが完成し、創刊準備号として広告されたのですが、一文字変更した英語表示に類似する登録商標の権利者から警告書が出版社に届いたのです。担当者は電話で、「どういうことか」「侵害になるのかどうか至急みてもらいたい。警告書をファクシミリで送る」と一言。そんなはずはないと思い、ファクシミリの前に陣取っていると、1行ずつゆっくりゆっくり警告書が送信されてきたのです。そして、カタカナ文字と相手の登録商標は非類似ですが、1文字入れ替えた英語表示は読み方によっては相手の登録商標と同じ発音になることに気が付いたのです。
今でも、ゆっくりゆっくり流れてくる、「ガッ、ガッ、ガッ」というファクシミリの音を覚えています。その後、警告書の対応をめぐってどうするか、題号の変更はもう間に合わないので出版停止にするのか、延期にするか、という話になりました。責任を痛切に感じた私は、事務所を首になるなあと思っていました。
 その後、商標権者と出版社の間で協議がなされ、一定のロイヤリティを支払って出版することができたのです。今から思うと、電話による変更要請であっても、文字に書き出して、再度称呼の吟味・決定をしておけばよかったのです。これが私の20代弁理士時代の大ピンチの一つです。

2 依頼者のビジネスを理解せず特許庁の審査だけを考えて大ピンチ

 広告代理店である依頼者から、いくつものネーミング候補について商標調査を依頼されました。すでに触れたように、当時はPCもなく、公報を特許庁、弁理士会館にて紙をめくりながらの調査が中心でした。しかし、徐々に民間会社が開発したデータベースによる調査が可能となってきていました。いくつもの候補について調査結果(◎〇△などわかるようにして)をまとめて報告し、最終決定がなされました。
 ところが、その後担当者から採用した商標について、「ライバル会社から警告書が届いたがどういうことか」という連絡を受けました。
 私は、このライバル会社の登録商標は把握していましたが、非類似であると考えていたのです。ですので依頼者の担当者には、次のように回答しました。「相手の主張は誤りであり、特許庁の審査では類似とは判断されず、登録されます」と。それが大ピンチの始まりです。
 よくよく聞いてみますと、広告代理店の業務はスポンサーである企業に対して、①新製品のネーミングを提案、②それが採用されるとCMの制作、パッケージのデザイン、雑誌広告など、ネーミングから波及するビジネスを行っていました。ネーミング調査はその端緒に過ぎず、選んだネーミングの商品が、ライバルメーカーも含めて誰からも文句を言われず、スムーズに商品の発売ができることを目指していたのです。つまり特許庁の審査を視野にした類似・非類似の調査ではなく、「誰からも文句が言われないネーミングの調査」が必要だったのです。私はいつものルーティンワークとして仕事をしていたのですが、それが間違っていたのだと思います。
 その後弁護士となったのちに、たまたま同じ広告代理店から、法律関係に関する相談や依頼を受けるようになりました。そこで初めて、広告代理店が大手であれスポンサー企業に対しては立場が弱いことが分かりました。弁理士の時に依頼者のビジネスや背景に関する知識がもう少しあれば、適切な助言ができたのかもしれません。

 以上の通り、今だから言える弁理士時代の大ピンチを2つご紹介しました。当時は本当に青ざめる思いをしていたのですが、あの時の大ピンチがあったればこそ今の自分があるのかもしれません。参考にしていただきたいと思います。

弁護士・弁理士 小林 幸夫

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